「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」 (ガラテヤの信徒への手紙1章4節)
【私たちは何によって救われているのか】
私たちの救いの基盤はどこにあるのでしょうか? アメリカのあるクリスチャンスクール(生徒全員がクリスチャンの学校)のチャペルで講師が次のように生徒たちに尋ねました。「みなさんは、救いの確信(地上の旅路を終えた時、必ず御国に入れていただけるという確信)をもっていますか?」
そうすると3分の1ほどしか手が挙がらなかったというのです。自分の信仰に自信がもてないという人もいたでしょうし、自分の罪深さをよく知っている若者が多かったのでしょう。ある意味では謙遜さの表れかもしれません。しかし、講師は次のように続けました。「皆さんの気持ちはよく分かりました。しかし、皆さんがクリスチャンであるならば、救いの確信を持つべきです。イエス・キリストの十字架の血潮の故に、皆さんは救いの確信を持つべきなのです。」
この日のメッセージは『Jesus is enough』(イエスさまで充分です)という宣教題でした。それはまさにパウロがガラテヤ書で展開しているメッセージです。私たちは自分で自分を救うことはできません。主イエスの十字架を通してなされた神の御業にすがることが唯一の救いの道です。
【ほかに福音はない】
日本には八百万の神がいると言います。しかし、この世界を造り、支えておられる神様はただおひとりだけです。世の中の宗教には良い教えがたくさんあり、良い指導者もたくさんいるかもしれません。しかし、上記のみことばが示す通り、この私を愛し、この私の罪のためにいのちをささげてくださったのはイエス・キリストだけなのです。私たちに求められているのはこの愛に対する応答です。