天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」 (マタイによる福音書28章5節~6節)
すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」 (マタイによる福音書28章9節~10節)
神の賜物は永遠の命である、と聖書は語っています。賜物というのは贈り物、プレゼントのことです。これは尊い贈り物で、私たちは信仰によってそれを受け取ることができるというのです。イエス・キリストの十字架は私たちの罪の問題を解決し、イエス・キリストの復活は私たちの死の問題を解決しました。これを信じることによって、私たちはこの「いのち」というプレゼントを受け取ることができるのです。
神さまの贈り物である永遠の命のゆえに、私たちには希望が与えられています。私たちは、どこに行くのかわからない、そのような人生は歩んでいるのではありません。向かっていく場所を明確に知らされて今という時を生かされているのです。
人生はマラソンのレースに例えられます。ランナーが長いレースを走って行くのは、ゴールがあるという事を皆が知っているからです。そこには栄冠が待っているということを知っているからこそ、マラソンランナーは、 -たとえそのレースが辛く厳しいものであったとしても- 最善を尽くして走っていくのです。私たちひとりひとりもゴールを知らずに生きているものではないことを、覚えていきたいと思います。