誰もが人生の中で苦しみを経験することがあります。信頼していた人から裏切られるということ、周りの人から自分の存在を大切にしてもらえないということ、そのような辛い経験は誰もが避けたいと考えるものです。しかし、私たちを罪の中から、むなしく乾いた人生から救い出すために、イエス様は十字架の苦しみを受けてくださったのです。
私たちをこよなく愛しておられるので、十字架の苦しみをその身に引き受けてくださいました。十字架による処刑は、当時、最も残酷なものでした。もっとも凶悪な犯罪者だけが、この方法で処刑されました。
イエス様の両手両足は十字架に釘付けにされました。イエス様の手は、病人に優しく触れ、いやしをもたらした手であり、子どもたちを優しく抱きよせた手でした。イエス様の足は、孤独な人を探して、罪の中に生きる人を探して、救いに導くために長い道を歩かれた足です。その両手両足が十字架につけられたのです。
十字架の厳しさは、私たちの罪がどれほど深刻なものなのかを表しています。罪を犯したすべての人間が受けるべき、罪の裁きの重さを表しているのです。深刻な罪は深刻な裁きを要求します。神のひとり子が十字架にかからなければならないほど、それほどまでに、私たちの罪は深刻なものです。同時に、人類に対するイエス様の愛はそれほどまでに深いのです。イエス様の尊い血潮が流されたほどに、私たちは愛されています。