2025年3月30日「最も大切なこと」今村まさゑ協力牧師

仏教の盛んな福井で育ったわたしの環境は、文字通り仏教一色でした。6歳の時、大空襲に遭い、命からがら逃げました。幸いにも生き延びる ことができましたが、毎日仲良く遊んでいたお隣りの民ちゃんとお向いの病弱なお兄ちゃんが逃げ遅れて、焼け死んでしまいました。3年後、 大地震(1948、M7強)に遭遇し、母と妹は大怪我を負いました。その地震で、またしても同級生の友達が7人亡くなりました。

それらの「突然の死の別れ」を経験したからでしょうか。ふと「あの子たちは、どこへ行ってしまったのだろう。死ぬって何だろう。」「私は、 何処から来て、何処へ行くのだろう…」と考えるようになりました。何度か両親や先生に質問しました。頼していた先生から「あんたは気持ち 悪い子やね。もっと子供らしいことを考えなさい。」と言われ、それからは、人には問わずに心の奥で問いけました。

20歳の春のこと、友人から「キリスト教講演会」のチラシを手渡されました。時は新興宗教が盛んで、母親から変な宗教の誘いに乗ってはいけないよと堅く言われていましたので躊躇しましたが、友人との付き合いで最終日に出席しました。

「皆さんは、何を求めて生きておられますか。真理ではありませんか。真理とは時間と空間を超越します。500年 、1000年 、2000年と、どんなに時間を経ようとも、また、世界のどこまでいっても絶対に変わることのない、価値があり、ただ一つの、真実なるもの、それが真理です。皆さん、それがこの聖書であり、この聖書に記されている御子イエス・キリストこそが真理なのであります。」

初めて聞いた、この一下りのメッセージの言葉が、わたしを教会に導きました。今朝の15章3節に、最も大切なことは ①わたしたちの罪のために死んだこと、 ②葬られたこと、 ③三日目に復活したこと、 ④現れたこと、とあります。私たち(全人類)の罪の償いを主イエスさまは全て十字架で、なし終えてくださいました。(参考聖句)ローマ3章23節 ~ 24節 、イザヤ書53章5節 ~6節 死と死後の裁きが待ち受け ている人生を、天国と復活が待つ人生にして下さいました。

牧師引退にあたり、感謝を込めて、詩編103編をお贈りします。早良教会の兄姉方が、弟子の足を洗ってくださった主の模範に倣って、しもべの道、また、復活の証人としての道を歩まれますことをお祈りしています。