「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」 (マタイ24:13~14)
主イエスはこの聖書箇所において、世界のおわりに際してどのようなことが起こるのかを語られました。「世の終わる時」(3節)という言葉は、「この世界が完成する時」と翻訳することもできます。この世界は目的をもって造られ、世界の歴史には“はじまり”があり、ひとつの“ゴール(目標)”に向かっている。それが聖書の示す世界観です。
神さまはこの世界を見捨ててはおられません。どんなに悪い状況にあったとしても、この世界は神さまのご計画が進められていく舞台であり、その神さまのご計画はこの世を消し去ることではなく、神さまの心に適った新しい世を造り出すことなのです。
「これらはすべて産みの苦しみの始まりである」(8節)という御言葉は新しいものの誕生、完全な世界が来ることを指し示しています。主イエスは愛とあわれみと正義をもって、もう一度、この世に来られるのです。
しかしその前に、多くの困難がこの世界にあることを主イエスは予告されました。戦争や災害があり、偽預言が横行し、人々の愛が冷え、大きな迫害が起こり、世界情勢においても、個々人の人生においても大きな苦難がやってくるだろうと主イエスは言われました。
苦難の時代にあっても、私たちに求められている生き方は“最後まで耐え忍ぶ”ことです(13節)。パウロがローマ書に記したように、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生みます。この希望は失望に終わることはありません。
そして、困難を極める時代にあっても「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる」(14節)ことを主は約束してくださいました。将来に対する希望の知らせを聞いた人は、それを自分だけのところに留めておくことはできないのです。イエスの愛に出会った人は、それを隣人に分かち合わないではいられないのです。