2025年2月16日「主はわが牧者」今村まさゑ協力牧師

「詩編23編」はダビデの賛歌です。ダビデ自身、子どもの頃から父親の羊の世話をしていました。羊は弱く単独では行動できず、誰かに護られなければ生きていけない動物です。そんな羊と人間を重ねていたのでしょう。

「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない。1節」

私たちは「主は私の羊飼いです。」と毎日、宣言することはとても大事なことです。

主が私の羊飼いであるならば、私は必要なものをすべて持っていることに気づくのです。主は羊の体の必要だけでなく魂をも生き返らせてくださいます。身体の疲れは休めば癒されますが、魂を生き返らせることができるのは主だけなのです。

「わたしたちが心に渇きを覚える原因は、静思の時がなおざりにされているからである」(アンドリュー・マーレー)と語っています。

私たちは積極的に静思の時をもち「私の羊飼いはあなたです」と宣言しましょう。 「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。4節」とあるようにダビデは主を「あなた」と呼んでいます。私たちが人生の最も暗い苦難の中を行く時、私たちは天高い遠いところからの助けをさびしく待つのではないのです。遠い存在の神としてではなく、人格をもった親しいお方である「あなた」が共にいてくださるとおっしゃるのです。

「あなたの鞭と杖 それがわたしを力づける。」とはどういうことでしょう。あなたの鞭は、私たちを恐怖で強制するものではないのです。私たちを襲ってくるオオカミや熊などを追い払い、外敵から守るためのものなのです。また、あなたの杖とは、羊をやさしく導き、行くべき道を指し示すための道具なのです。

「まことに 私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが 私を追って 来るでしょう。6節」(2017新改訳)と記されています。先頭には羊飼いである主が導いてくださり、後ろからは「慈しみと恵みが」追いかけて来るとは、なんと心強く、また何という恵みでしょうか。そして、「主の家にわたしたちは帰り、永遠に、そこに住まう。6節」とあります。自分がこの世を去る時に行く場所でなく、帰る場所として主の家と記されていることは恵みです。そしてその後、永遠に主の家にとどまってよいとは。このようなゆるぎない平安は、主のみ許以外には何処にも見つかりません。

最後に、更に「詩編103編1~5節」を贈ります。ハレルヤ!