2025年2月9日「神殿での問答」加山献牧師

「税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 (マタイ22:19~21)

 

この主イエスの応答はクリスチャンが為政者に対して、また神に対して、とるべき態度を教えているものとして、教会では受け取られてきました。“皇帝のものは皇帝に”とは公共の利益のために用いられる税金であるならばしっかりと忠実に納めなさい、という意味です。そして“神のものは神に返しなさい”とは“あなたはあなた自身を神にささげなさい”という意味として理解されてきました。

私たち人間は神の像(かたち)につくられている、と聖書は語ります。「像」(ギリシア語でイコン)は「肖像」という意味もあります。私たち人間は霊的存在として造られており、また他者と愛し合う存在として造られています。そして神のしるしを受けた者、神の属する者として存在しています。つまり私たち一人一人は神に帰るべき存在として造られているのです。

 

「死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。(マタイ22:31~33)

 

アブラハム、イサク、ヤコブ、はユダヤ人先祖の名前です。主イエスが言われたのはこういうことです。「彼らは確かに地上を去った。けれども彼らは生きている。その魂は神さまの懐に抱かれ、復活の時を待っているのだ。」

私たちの人生は死んで終わりではありません。私たちが先に天に送った人々も皆、生きています。そして復活の時には皆で顔と顔を合わせて主に会うことができるのです。これこそが私たちに与えられた最も偉大な希望のメッセージです。