2025年2月2日「考え直す」加山献牧師

イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」 (マタイ21:23)

 

当時の宗教指導者たちはこのようにイエスさまに「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか」と問いかけました。 “このようなこと”とは、イエスさまが神殿で商売をしていた人たちを戒められたこと、神殿の中で体の不自由な人々を癒したこと、そしてとりわけ神殿内で人々に教えていたことを指しています。

当時、神殿内で教えるためには特別なお墨付きが必要でした。ある一定期間、宗教的なトレーニングを受けて、2人もしくは3人のラビによって認定を受けて、神殿の中で教える認可を得る必要があったのです。ところがイエスさまはガリラヤから出てきたごく普通の田舎の人と見られていました。そこで祭司長や長老たちは「いったい誰の許可を得て、あなたは神殿で教えているのか。そしてあなたはいったい自分を何者だと思っているのか?」と問いかけたのです。

マタイがこの福音書全体を通じて伝えたいメッセージのひとつは“主イエスは天からの権威、つまり父なる神さまから委託された権威をもってこの地上で活動された”ということです。

 

「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになった。」(マタイ7:29)

「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」(マタイ9:6)

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」(マタイ28:18)

 

イエスさまは天から遣わされ、神さまのメッセージを体現する「神の言葉」としてこの世界に御自身を表されました。そして十字架と復活によって救いの道を開いてくださったのです。これがマタイをはじめとした福音書を記した人々の証言です。そのようなわけで、主イエスはマタイ21章28節以下に続く“二人の息子のたとえ”を通して、御自身に対して心を固く閉ざしていた人々に「考え直す」ことを促しておられます。