2023年9月10日「わたしたちはどこへ向かっているのか」加山献牧師

「ファリサイ派とサドカイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを見せてほしいと願った。」(マタイによる福音書16章1節)

 

ファリサイ派とサドカイ派は当時の宗教的、政治的な二大派閥でした。もともと彼らは犬猿の中で、激しい対立関係にありましたが、主イエスを糾弾しようという意図によって一致したのです。

彼らはイエスに天からのしるしを見せてほしいと願いました。それは“本当にあなたが神様から遣わされた救い主であるなら、何か驚くべき奇跡を起こして、その確かな証拠を見せてほしい”という意味の願いでした。

これに対して主イエスは、16章4節で「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」と答えられました。ヨナは、ニネベという大きな町で神様の言葉を語り、町中の人々を悪の道から立ち返らせた旧約の預言者でした。同じようにイエスさまも神様のメッセージを至る所で語り、その結果、多くの人々の人生が変えられていました。

“しるしはすでに示されている。見る目があるならば、そしてその事を知ろうとするならば、そのことに気づくことができるではないか”と主イエスは言われたのです。

 

「わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ書7章14節)

 

このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイによる福音書1章22節~23節)

 

2000年前にイエス・キリストがこの地上に来られ、人間の歴史の只中に生きられたのは、神がわたしたちと共にいてくださり、神はわたしたちのことをあきらめてはおられず、神はわたしたちのことを気にかけてくださっている、ということのしるし(証拠)を示すためでした。わたしたちはこのイエス・キリストという存在の故に信じる事ができます。神は今日もすべての人を愛しておられ、わたしたちは決して見放されることがないのです。