2023年1月1日「福音の種を蒔き続けよう」加山献牧師

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。」(マタイ13:3)

 イエスさまは、当時のガリラヤの人々が暮らしている、素朴な日常の風景を用いて、たとえ話を語られました。農夫、羊飼い、漁師、商いをする人、主婦、しもべや召使い、王と家臣たちの話など、そういった人々が暮らす世界がイエスさまのたとえ話の舞台でした。そこでは人間が自然と向き合いながら、共に生き、共に苦しみ、共に働き、共に喜んでいる、小さな世界です。本質的には、今、私たちが生かされているこの時代と、ほとんど変わらない世界だと言って良いかもしれません。

 注目したい最初のポイントは、すべての土地に平等に種が巻かれていること、つまり聖書の言葉を聞くすべての人の心に種が蒔かれているということです。この天国の言葉をどのように聞くかは、私たちに委ねられています。福音をいかに聞くべきか、ということがこのたとえ話の核心なのです。

 二番目のポイントは、主イエスに従う教会もまた、種を蒔く群れとなっていく、ということです。種を蒔く人は、私たち一人一人でもあるのです。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った」とイエスさまは語り始めました。この世界という畑に住み、喜びながら、あるいは悩みながら生きるすべての人への愛に促されて、種蒔く人は出かけていきます。人々はそれを受け取らないかもしれない。それでも、無駄に思えるほど、豊かに蒔くのです。

 伝道がうまくいかず落胆するすべての教会にこのたとえ話がはっきりと教えることがあります。それは必ず収穫がある、ということです。ある種は道端に落ちて、ある種は岩場に落ちて育たず、ある種はふさがれたままで枯れてしまうかもしれません。それにも関わらず、必ず受け取ってくれる人はいます。収穫の時は約束されているのです。