2022年11月6日「家族になろうよ」加山献牧師

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」(マタイによる福音書12章49節~50節)

 数年前に流行った福山雅治さんの歌で、『家族になろうよ』という歌がありました。結婚式などで好んで歌われた曲です。この聖書箇所でイエス様が言わんとされたことも、まさに「家族になろうよ」という呼びかけであったように思います。

 あなたがどのような人であっても、あなたがどこの国の人であっても、あなたが今何歳であっても、あなたの今までの人生が生き方をどのようなものであっても、文化や思想や性格の違いも関係なく、みんな「家族になろうよ」、それがイエスさまのメッセージなのです。

 今日ほど、家族の大切さが問われている時代はないかもしれません。物やお金がどんなにあったとしても、家族のぬくもりこそがその人を幸せにするのだと思います。人の人生の中で、最も美しく、最も大切な関係が、家族の中にある、と言っても過言ではありません。

 しかし、家族の中に生きがいや人生の喜びを見出している人々が多くいる一方で、家族の関係に生きる難しさを覚えている方々もおられます。家族に傷つき、家族に見捨てられ、あるいは、そもそも、家族を知らずに生きていかなければならない人もいるのです。そのような関係の消失は、人生における大きな危機だと言えるでしょう。

 実は主イエスのまわりにも、社会から切り離され孤独に生きる人々がありました。だからこそ、主は言われました。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」(49節)

 続く50節に、“だれでも”という言葉があります。主イエスが好んでよく用いる言葉です。「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(マタイ7:8)、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」(ヨハネ7:37)。

 ここでも主は改めて語られています。「だれでも、神さまの御心を行うなら、私の家族です。」(50節) そうです、「家族になろうよ」と、イエスさまはすべての人を招いてくださっているのです。