2022年9月11日「良い実を結ぶ人生」加山献牧師

マタイによる福音書12章33節~37節

「善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。」(35節)

 主イエスは、私たちの心は「倉」であり、言葉は「蓄え」であることを教えられました。私たちは心の倉にどのようなものを蓄えているでしょうか。日頃から心の中に恵み、慰め、励まし、愛情を蓄えている人は、その倉から優しい言葉を取り出すことができるのでしょう。

 旧約聖書の創世記に登場するヨセフは、エジプトで大臣を勤めていた時、豊作の年には良い作物を倉に収めていました。そして飢饉が訪れている時には、その倉から良いものを取り出し、世界の人々に分け与えたのです。

 現代は良い言葉が見つかりづらい時代です。テレビやインターネット、SNSには否定的な言葉、人をおとしめるような言葉が満ちています。人々は良い言葉に飢えているのではないのでしょうか。今、世界は飢饉の時代を迎えているといえます。

 多くの人が、慰めの言葉、恵みの言葉を必要としています。良いものを必要としている人に出会う時のために、また私たち自身のためにも、喜びと希望、慰めと恵みの言葉を、こつこつと心に蓄える者でありたいと願います。

 ところで、私たちはどのようにして良いものを蓄えることができるのでしょうか。 「良いもの」(ギリシャ語で“アガサ”)は“神様からの良い贈り物”という意味のある単語です。「良い言葉」とは本来的には「神様の言葉」を示しているのです。

 創世記によれば、この世界の全ては神様の言葉によって造られたとあります。そして、造られたすべてのものが「はなはだ良かった」と聖書は語っています。無から有を、何もなかった所にこの世界を生み出した神様の言葉が、私たち一人一人を「あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」と呼んでくださるのです。

 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という御言葉が示す通り、神様の口から出るひとつひとつの言葉に耳を傾けること通して、私たちは良いものを心に蓄えることができるのです。今週も、私たちの存在を全肯定する、神様の言葉を私たちの心の倉に蓄えていきたいと思います。