2022年5月22日「掟破りの救い主」加山献牧師

マタイによる福音書12章1節~8節

 「もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」(7節~8節)

 ここでイエス様は、宗教的な規則にこだわるファリサイ派の人々に対して、ホセア書6章6節の言葉を引用し応答されています。

 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。』 イエス様は他の場面でもこの聖句を引用されているので、この言葉をとても好んでおられたようです。神様が求めておられるのは、象徴的な儀式としてのいけにえではなく、神様への愛、隣人への憐れみであり、目に見える表面的な儀式よりも「人」が大切なのだ、というメッセージです。

 かつてイギリスにジョージ・ポーターという人がいました。彼はカトリックの神父でしたが、彼は教会の働きのかたわら、貧民救済のためのボランティア団体を組織しました。そして社会から見捨てられた人、犯罪歴のある人、ストリートチルドレンと呼ばれる子どもたちのお世話をしました。(ちなみにこの団体の紋章はイエスが弟子たちの足を洗った時の“手拭い”のロゴマークだったそうです。) ポーター神父はミサ(礼拝)をとても大切にしていましたが、次のように人々に指導したそうです。「もし助けを必要としている人がいるならば、ミサを休んででも助けにいきなさい。その時には、助けを必要としている人を支えることがあなたの礼拝になるのです。」