2022年4月24日「弟子たちを派遣する」今村まさゑ協力牧師

マルコによる福音書16章14節~18節

 先週、私たちはイースターの礼拝に与り、「信じる者になりなさい。」 との奨励を頂きました。救い主として神の御心を行うために、日曜日にエルサレムに入場され、民衆から熱烈な歓迎を受けられたイエスさまが、木曜日には捕らえられ、不当な裁判によってなぶりものにされ金曜日の朝の9時に、むごたらしい十字架刑が行われました。苦しみの十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」 また、大声で叫ばれた 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」 こう言って三時に息を引き取られたのです。

 一切を捨ててついてきた弟子たちにとって、喜びが絶たれたばかりか、自分たちも捕らえられ処刑されるに違いないと考え、彼らは絶望と恐れで、隠れ家にひそんでいたのです。それにしても不思議なことは、弟子たちは再三、主ご自身から受難と復活を聴きながら理解していないのです。(マタイ20:17~、マルコ10:22~、ルカ18:31~) 

 14節 「その後、11人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。」

 かたくなな心とは、堅い、鈍感な、無神経な心を、責め、非難し、心を痛められたのです。イエスさまは、そんな不信仰な弟子たちに、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」滅びの宣告とは脅迫ではなく、不信仰な弱い弟子たちへの励ましの言葉です。

 信じる者には、キリストの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、病人に手を置けば治るしるしが与えられる。新しい舌は、讃美、なぐさめ、励ましを語るようになる。

 祝福されたアダムでしたが、神に背き罪を犯した子孫であるわたしたち人間は、 罪の性質を受け継ぎ、 死に向かって生きる者となりました。どんなに勉学に励んでも、どんなに事業に成功しても、最後が死であることを、神は回避させるに、神自らが罪の身代わりとなられ十字架の死を遂げられたのです。十字架で死なれて、甦えらされたキリストは、私たちの罪の贖い主です。

「罪の報酬は死です。 しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23) 

 弟子たちを愛して, ガリラヤ湖で復活された主は再び会ってくださり、励ましてくださいました。

 20節に、「弟子たちは、至るところで宣教した。」「イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン。」と記されています。 聖霊なる主が、 いつも伴って下さることを信じ、今週もここから遣わされてまいりましょう。