2022年4月10日「十字架と復活」

マタイによる福音書11章11節~19節

「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』」(マタイによる福音書11章16節~17節)

 主イエスはここで、当時のユダヤの子どもたちが歌っていたあそび歌を引用したといわれています。子どもたちが広場でお葬式ごっこをしたり、結婚式ごっこをする時の歌だったそうです。もちろんこの遊びは、大人たちが結婚式や葬儀で見せる「喜び」や「悲しみ」がモデルとなっています。

 葬式の歌は洗礼者ヨハネのメッセージを表し、結婚祝いの笛のメロディーは主イエスの宣教を表しています。ヨハネは、私たち人間の心に、どうしようもない罪があることを示しました。しかし多くの人はそのことを悲しむことはなく、涙を流して神様の方に向き直って欲しいのに、そのようにはしてくれませんでした。

 主イエスは、そのような私たちのどうしようもない罪がすでに赦されているということを知らせました。私たちは神に愛され、受け入れられていることを示したのです。けれども多くの人は、その喜びを受け取ってくれなかったのです。

 他にも、「歌」と「笛」は聖書の中に現れるいくつもの事柄を表しています。それは「律法」と「福音」であり、「旧約」と「新約」であり、そして究極的には、イエス・キリストの「十字架」と「復活」を表しているのです。 私たちの罪のために、罪なき神のひとり子が十字架にかかられました。私たちはこの現実を十分に悲しめているでしょうか。そして、本当の意味で赦しを受け取ったものには、喜びが与えられます。私たちの人生に悲しみがあったとしても、悲しみのままでは終わらないのです。私たちはこの喜びをしっかりと喜んでいるでしょう。そして、この方が死の力を破り、復活されたという事実に、私たちの希望の土台があるのです。