2022年3月27日「ここに愛がある」加山献牧師

ヨハネの手紙第一4章7節~12節

 「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」 (第一ヨハネ4:9~10)

 ある人は、大人と子どもの見分け方は「愛のあり方」にあると言いました。受けるのが子どもの愛で、与えるのが大人の愛だそうです。人は成長するにつれ、愛を受ける側から与える側に移っていくというのです。ところが子どもの時に十分に愛を受け取ることができなかった場合、大人になってから愛を与えることに困難を覚えることがあるそうです。体は大人になっても、心のどこかはいつまでも子どものままでとどまってしまい、愛されることを要求し続けてしまう時に、様々な人間関係を築く上で問題が生じてしまうことがあるというのです。

 しかし、実際の私たちはどうでしょうか。正直なところ、人はいくつになっても愛されることを求め続けているものだと思います。愛されることを必要としない人間はこの世界にいません。

 聖書は、イエス・キリストに結ばれるならば、誰もが神の子どもとされる、と言っています。イエス・キリストにつくならば、私たちはいくつになっても神の子です。いくつになっても、神の愛を受け取り続けても良いのです。尽きることのない十字架の愛を受け取り続けていただきたいと思います。

 神の愛は決しておしつけではありません。私たちが心を明け渡すまでは、無理に心に上がり込もうとはされません。

 また、神の愛は待つ愛です。くる日もくる日も、放蕩息子の帰りを待つ父のように。神さまは全ての人がご自身の元に帰ってくるのを待っておられるのです。 「ここに愛がある」とヨハネは綴りました。私たちはいつでもここに戻ることができます。人が生まれた時に産声をあげるのは、母の愛、自分を育んでくれる愛を求めるからです。人は生まれてから、召される時までずっと、自分を包む深い愛を探し、心に安らぎを与える愛を求め、生き続けているのです。「ここに愛がある」と聖書は今日も語っています。