2022年2月6日「一羽の雀さえ」加山献牧師

マタイによる福音書10章26節~33節

 「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」 (29節~31節)

 一アサリオンは当時のユダヤでは最小単位の銅貨でした。今の日本円にして3円から4円ほどの価値だったと言われています。人間の目には、ほんの小さな価値しかない雀も、神様の御支配に包まれ、大切に持ち運ばれている命です。一羽の雀さえも、神様は大切に思っていてくださるのです。

 「あなたがたはたくさんの雀よりも、はるかに価値あるものではないか」と主イエスは言われました。私たちは世界のどこにいようとも、神様の愛と配慮の外に置かれることはありません。だから恐れなくてもよい、というのです。

 私たちの髪の毛の数も知られているとしたら、私たちの命、私たちの平安、私たちの健康、私たちの魂を、どうして顧みてくださらないはずがあるでしょうか。私たちはいつも、神様の配慮の中に生かされています。

 小さな雀であっても、地に落ちて、死を迎えることがあるならば、それは神様の許しがあってのことです。私たちが神様に呼ばれる時が来たならば、その時は私たちが成すべき務めを終えて、神様の元に引き寄せられる時です。そのような理由で私たちは死を迎えることも、恐れるべきではない、と主イエスは語られます。

 直訳では「一羽の雀も、あなたがたの父なしに、地に落ちることはない」となっています。短い寿命を終え、地に落ちようとしている一羽の雀にさえも伴ってくださる愛の神がおられます。主は地上生涯の最後の瞬間まで私たちに伴ってくださり、永遠の御国では両手を広げて私たちを迎えてくださるお方です。