2021年12月19日「主は豊かであったのに」加山献牧師

 「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」(コリントの信徒への手紙第二8章9節)

 パウロは上記のように、キリストが人となられた意義、クリスマスの意味について説き明かしました。この箇所ではイエス・キリストを信じることと、私たちの心の豊かさが結びつけられています。

 主イエスは「心の貧しいものは幸いである。天の国はそのような人たちのものである。」と言われました。心の貧しさに気づき、素直にそれを認め、イエスのもとに来るならば、イエスはその人に天国を与えると約束してくださったのです。

 たとえ経済的に、精神的に、とても余裕がないという状態にあっても、自分の心の欠乏に気づき、イエス・キリストという救い主を受け入れるならば、人は満ちあふれるほど豊かにされる。この上ないほど富むことできる。それが聖書の主張です。主イエスは天国で持っていた豊かさを手放して、貧しくなってくださいました。それは天国に満ち溢れる喜びと平安を私たちに与えるためだったのです。

 また、この箇所においては「与える」こと、「分かち合う」ことが「豊かさ」と結びつけられています。コリントという町は古くから貿易で栄えて、あらゆる国の人々が行き交う、国際色豊かな、当時の地中海世界で最も栄えた街のひとつでした。コリントの教会は豊かな街の、豊かな教会だったのです。 しかし同時に、この街は多くの社会問題を抱えていました。そのひとつに、豊かさの影で拡大していた貧富の差が挙げられます。そこでパウロはコリントの教会の人々に、与えること、分かち合うことが勧めました。キリストに倣い、貧しい人々に施すことを通して、あなた達はさらに豊かになりなさい、とパウロはこの章で語っているのです。このクリスマスに、私たちも与えることを通してさらに豊かなものにされていきましょう。