2021年12月5日「導かれて、ここまで来た」加山献牧師

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」(マタイ2:9)

 東方の学者たちは、星に導かれて生まれたばかりの幼な子イエスの元に辿り着いたとあります。彼らは遠くペルシャの国の天文学者であったといわれています。

【私たちの人生は導かれている】

 キリスト教の信仰では、私たちの人生には「導き」がある、ということが強調されます。私たちの人生は何か不思議な力に導かれている。私たちの人生に起こるすべてのことは、大いなる何者かに導かれている、という考えです。

 私たちがそれぞれの場所に生まれてきて、それぞれの人生を歩み、さまざまな出会いを与えられ、さまざまな出来事を経験し、そして今日、この場所にいるということも、すべては神の導きの内にある。聖書はそのように語ります。

【人生に起こることには、すべて、深い意味がある】

 私たちの人生が導かれている、という時、さらに言わなければならないことがあります。人生に起こることには、すべて、深い意味がある、ということです。私たちの人生は、ありがたいと思えることばかりではありません。辛いこともあります。しかし、神の計画を知る時、その辛いこと、嫌なこと、それらも含めて導かれているのだ、ということに気づくことができます。

 使徒パウロはローマの手紙の5章で次のように言います。「私たちは苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ローマ5:3~4)

 私たちにも、人生を導く星があります。過去の旅路を振り返ってみれば、それぞれに、色々なことあったと思います。しかし、私たちの人生に起こる、全てのことは導かれています。そして私たちは、導かれてここまでやってきました。私たちが教会という一つ所に集められたことは決して偶然ではありません。