2021年11月21日「主を待ち望め」今村まさゑ協力牧師

詩編37編1節~9節

 さて、真面目に努力し、懸命に働いても、理不尽な仕打ちや不条理な出来事で、お先真っ暗で、立ち上がれないで苦しんでおられる人が多くおられます。

 詩編は、聖書の中で一番、愛読されている書で、およそ2,500年の長い間、人々を慰め、励まし、祈り、希望と力を与えてきた賛歌であります。そのことを覚えながら、いにしえの詩人の知恵に、聞いていきたいと思います。

 まず1節「悪事を謀る者のことでいらだつな。不正を行う者をうらやむな。」 苛立つは、他の訳で「腹を立てるな」「こころ悩むな」「ねたみを起こすな」など。

 何故、苛立つのか。神がこの世の主権者であることを忘れているからです。しかし、2節に「彼らは草のように瞬く間に枯れ、青草のようにすぐにしおれる。消え去る。」(10)のです。だから、あなたがたは悪に苛立たず、羨まず、腹を立てず、妬みを起こすな。というのです。

 3~4節に「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。主に自らをゆだねよ。主はあなたの願いをかなえてくださる。」

 主を己の喜びとするとき、神は、あなたの真の心底にある願いを叶えて下さるのです。 5~6節「あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ。主は計らい、あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを、真昼の光のように輝かせてくださる。」 あなたの義、あなたのための裁きとは、心の真実を正しく評価して豊かに報いて下さるということです。

 4,5節の「主に自らをゆだねよ。」「あなたの道を主にまかせよ。」これは、主体性を欠いた生き方のようにみえます。しかし、単に神任せと言う意味ではなく、虐げられ、貧しくされても、耐え忍び、神の救いを待ち望む信仰の人・・・の意味です。消極的な生き方でなく主を信頼して生きる積極的な生き方です。

 7節の「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ」を 高橋三郎師は

 「主の前に静まり、主を待ち望め。」と訳しています。(「ダビデの歌」より)

  ―神よ、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ。―(R. ニーバーの祈り)があります。

「主に望みをおき、主の道を守れ。」(34)(35~36)(37)(40)

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