「善を求めよ、悪を求めるな。お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように、万軍の神なる主はお前たちと共にいてくださるだろう。」(アモス書 5章14節)
この言葉は、私たちの信仰が単なる儀式的な行動や形式的な礼拝にとどまらないことを教えています。神さまは形だけの宗教的な行為よりも、実生活での「善」を求めておられます。それは、私たちが日常生活の中でどれだけ正直で、思いやりを持ち、公正であるかということにあらわれます。教会での礼拝や祈りはもちろんとても大切なものですが、私たちの本当の信仰はその後の「生活」にこそ現れるものであるといえます。職場や学校、家庭での言動、他者との接し方、ここに神に喜ばれる「善」をおこなうフィールドがあります。「悪を求めるな」とは、無駄な争いごとや不正を避け、神さまの御心にかなう行いをすることです。私たちの最善を尽くして、悪を避けて善を求める時、私たちの生活は神の御心にかなったものに近づきます。
「悪を憎み、善を愛せよ、また、町の門で正義を貫け。」 (アモス書5章15節)
ここで「町の門」とは、当時の社会で裁判が行われたり、取引が行われたりする場所を指します。つまり、この言葉は「社会全体で正義を実現せよ」と語りかけているのです。信仰は個人の内面だけにとどまるものではなく、私たちの社会全体に影響を与える可能性のあるものです。神さまは私たちに、自分の生活が良いものであることだけを求めているのではなく、社会における不正や不平等を正し、公正な社会を作り上げるように命じています。私たちが日々の仕事、地域活動、家庭内で直面する問題において、私にできる正義を行うことが求められているのです。それが「町の門」で公正を打ち立てるということです。信仰者として、時に私たちは社会の不正に対して声を上げ、行動し、弱い立場にある人々を守る責任があります。たとえ小さな光であったとしても、私たちの信仰が私たちの内面だけでなく、社会全体を照らす光となるように祈りましょう。