2025年10月12日「救いは主にこそある」加山献牧師

【どんな場所でも祈ることができる】

「ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。」(2:2‐3)

神さまはどこにいても祈りを聞いてくださるお方です。困難な中にあっても、貧しい生活にあっても、孤独な時も、病床でも、魚の腹の中でも。「祈りにふさわしくない場所はありません」(マシュー・ヘンリ―)。人生の「暗闇」と思えるような場所も、神さまとの出会いの場になりうるのです。ヨナは、魚の腹の中という「人生のどん底」で祈りました。そこは、光も希望もない場所です。けれども神は、その声を聞かれました。私たちも、罪/失敗/孤独の中で「もう終わりだ」と思うことがあるかもしれません。しかし、神さまは祈りを無視されるお方ではありません。むしろ祈りの中でわたしたちに出会ってくださるのです。

 

【救いは主にこそある】

「わたしは感謝の声をあげ、いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」(2:10)

ヨナはまだ魚の腹の中にいます。にもかかわらず、感謝をささげているのです。かつてチャールズ・スポルジョンという説教者は言いました。“True faith sings while still in the fish’s belly.”「ほんものの信仰は、魚のお腹の中でも賛美を歌う。」神さまの救いは、状況が変わってからではなく、信じるその瞬間に始まるのです。ヨナは「救いは主のもの」と告白しました。その告白の後、魚はヨナを吐き出したのです。神の救いは、信仰の告白とともに現れます。神は、ヨナを罰するためではなく、取り戻すために魚を送られました。それはヨナの心を再び神に向けさせるための「恵み」でした。あなたの人生にも「魚の腹のような時」があります。逃げた結果かもしれないし、理解できない苦難かもしれません。でもそこは、神との再出発の場所になり得ます。「救いは主のもの」――この言葉を今日、私たちの祈りの中で告白しましょう。