2025年7月27日「キリストが与える真の自由」 ライアン・タンカスリー宣教師

「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」 (ガラテヤ5:1)

 

パウロは当時の教会の人々に、あなたがたは旧約の律法から自由にされて、キリストにあって自由の身とされた、ということを伝えました。しかし、律法は完全に無意味になったのでしょうか?「決してそうではない。律法がなければ、私は自分の罪に気づかなかった。」とパウロは別のところで語っています。たとえば「むさぼってはいけない」と言われなければ、私たちは心にむさぼりがあることすら知らなかったかもしれません。つまり、律法は鏡、愛のない欲望を見える形にする鏡のような存在なのです。ローマの信徒への手紙の中には次のような御言葉があります。

 

 「私は自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。・・・そういうことを行っているのはもはや私ではなく、私の中に住んでいる罪なのです。」(ローマ7:15~17)

 

これは、誰もが共感できる体験ではないでしょうか?もしかしたらあなたの心にも響いているかもしれません。「いつも平気なふりをして、もう疲れた・・・」、「欲望に何度も負けて、自分が嫌になる・・・」、「本当の自分がばれたら、きっと誰にも受け入れてもらえない・・・」、「死ぬのが怖い・・・自分が裁かれるのが怖い・・・」もしそのように感じているのなら、あなたは今こそ、救いが必要です。救い主イエス・キリストを心にお迎えして救いをお受け取りになるように心からお勧めします。