「民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。『誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。』」 (民数11:4~5)
モーセに率いられてエジプトを脱出してきたイスラエルの民は、荒れ野の旅の中で何度もモーセや神さまに対して何回も不平不満を語ってしまいます。彼らは苦しい試練に直面すると神さまの救いの御業と自分たちの将来に約束された神さまの恵みを忘れてしまったのです。ここに二つの問いかけを聴くことができます。
① エジプトに帰りたいですか?
第一の問いは「エジプトに帰りたいですか?」です。言い換えるなら「過去に戻りたいですか?昔のほうが良かったですか?」という問いかけです。しかし私たちは時計を戻して過去をやり直すことはできません。私たちの手に委ねられているのは未来だけなのです。
② マナでは満足できませんか?
6節で人々は「今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」とつぶやきました。マナは朝毎に与えられる神さまからの贈り物(恵み)として出エジプト記に記されていた食物です。素晴らしい恵みが与えられているにも関わらず、恵みを当たり前のものと感じる時に私たちの心に満たされない思いがやってきます。
1978年に42歳でこの世を去った、原崎百子さんという方がいました。この人が闘病中に書き記した手記の中に次のような言葉が記されています。「わたしが 共にいる 治らなくても よいではないか。わたしが 共にいる 長患いでも よいではないか。わたしが 共にいる 何も出来なくても よいではないか。わたしが 共にいる それで よいではないか。或る晩 キリストが そう言って下さった。」