「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」 (フィリピ3:13後半~14)
1) “なすべきことはただ一つ”
わたしたちの人生にはやらなければならないことが沢山あります。けれどもパウロはここで、わたしたちのなすべきことはただ一つである、と言うのです。「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞」を目指して、それぞれに与えられた道(使命)を懸命に生きる事である、と使徒パウロは語ります。
2) “後ろのものを忘れ”
パウロにとって忘れるべき過去のものとはどのようなものだったのでしょうか?それはパウロの過去の栄光、誇りであり、または過去の失敗、間違った決断、取り返しのつかない過ちなどでした。過去に捕らわれた生き方から解放され、前に向かって前進していく信仰の姿勢がこの言葉に表されています。
3) “前のものに全身を向けつつ”
目の前のことに精一杯取り組むことを指しています。今、自分のしていることの延長線上に目標としているゴールがあるはずです。今、自分の「目の前にあること」が目標に到達するためのステップとなります。しかし、あれもしなければ、これもしなければ、と右往左往することはありません。今の自分にとって何が重要であるのか、今、自分は何を見つめ、どのようなことに自分の時間と力を注ぐべきなのかを見極めることが大切です。
4) “神がお与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る”
日々のタスクや短期的な目標のさらに先にある、「自分は何のためにこれをやっているのか?(何のために生きているのか?)」という問いに対する答えがここにあります。目標を目指すことは、継続する力や忍耐力を生み出します。目標こそが、迷った時の人生の指針になります。また最終的な目標(ゴール)を知ることで、毎日の結果に一喜一憂するのではなく、プロセスそのものを楽しめるようにもなるのです。「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞」があります。天国に辿り着く時、人生を走りきった者に与えられる報いがあるのです。