2025年6月8日「自分を無にして」加山献牧師

 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」 (フィリピの信徒への手紙2章6節~8節)

“自分を無にする”という言葉の意味を、考えていきたいと思います。これは“ケノ-シス”というギリシア語が使われています。虚しい、空っぽである、という意味の言葉です。「キリストがへりくだって従順に生きられたように、あなたがたもへりくだったものとなりなさい」という一つのメッセージがあります。そこで「キリストが自分を無にしたように、あなたがたも自分を無にしなさい」と語られているのかと当初考えました。しかし、この箇所をよく学んでみると、『イエス様が人間と同じようなものになられた』、『  私たちと同じように、無、空っぽになってくださった』ということを、語っているということです。

このメッセージが前提としているのは、“人間とは、空っぽの存在である”ということです。イエスさまがご自分を無にされたというのは、キリスト御自身に満ち満ちていたものをわたしたちのためにすべて注ぎ出してくださったということを、意味しています。空っぽの私たちに、イエスさまが持っておられるあらゆる祝福を -空っぽになるまで- すべて注ぎ出してくださった、というのです。ヨハネによる福音書の7章37節以下でヨハネは次のように主イエスの言葉を伝えています。

「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人は、誰でも私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる』イエスは、ご自分を信じる人々が受けようとしている霊について、言われたのである。」