「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」 (ガラテヤ4:19)
この手紙の著者である使徒パウロは上記のようにガラテヤの教会の人々に向けて書き送りました。この言葉の意味は次のようなものです。「イエスさまを信じた時の感激と喜びはどこにいったのか?あなたたちがその喜びを取り戻すために、私はもう一度、産みの苦しみをしている。」
産みの苦しみとは、人が経験する中で最も大きな痛みです。つまりこの言葉はパウロの心の大きな痛みを表現しています。ガリラヤの人々の信仰の背後には痛みを伴う強い祈りがあったのです。
かつてバックストンという宣教師は次のように語りました。「私たちの周囲の人々は聖書をなかなか読みませんが、私たちの生活を読みます。世の中の人々は主イエスを見ませんが、私たちを見ます。神さまの願っておられることは、聖霊が私たちの内に臨むことで、人々が私たちの内に主イエスを見ることです。」
わたしたちは皆、私たち自身の内側で、キリストが形づくられる途上にあります。わたしたちは皆、そんなに簡単には変われない自分を知っているかもしれません。しかし自分の力で頑張って変わっていくのではありません。陶器師である神さまに心を形づくっていただくのです。
これは天国に着く時まで続くプロセスです。日ごとの祈りの中に次の言葉を加えてみましょう。「神さま、少しずつで良いので、どうか今日も私の内にキリストを形づくってください。」