先週の宣教要旨

「 神の時を知る者 」

ローマの信徒への手紙 13章1114節  今村幸文牧師

 

2017年の大晦日の日曜日を迎えました。この1年の終わりの時をどう捉えるか。

2017年の1月1日は主の日、日曜日でした。この年は主の日の礼拝から始まり、

主の日の礼拝で終わろうとしています。週報の宣教題は「神の時を知る者」です。

「時」は聖書の原文では、カイロス、神の計画し決定した時を意味しています。

私たちはキリストがこの世界と歴史の中に来て下さったことを記念するクリスマスを

過ごしてきました。クリスマスはカイロス、神の計画し決定した時です。

キリストはベツレヘムに生まれ、ガリラヤのナザレで成長し、神のみ心に従って

人々の苦難を担い、罪と死の問題を十字架と復活で解決し、聖霊として世の終わりまで

私たちと共にいて下さるのです。

実に2017年は神の時を知る者として主の日に始まり主の日で終わるのです。

これが私たちの大晦日の捉え方です。今日のみ言葉は「あなたがたは今がどんな時で

あるかを知っています」とあります。主イエス・キリストが来られた時、それがすべての

時の原点となりました。どんなに自分の思い通りにならなくとも涙と苦しみに満ちたもの

であっても自分の生活が罪と死から救われたものであり、その救いが完成することを

固く信じることができるのです。

「刻々に過ぎ行く刻は、神の時によってこそ正しく計ることができるのです。

なぜならどの時刻も人間にとっては、決断の時を打っているからです。」レナール。

信仰から言えば、どの時間も神に与えられたものとして神に対して責任を取る生活を

するためにあるのです。「あなたがたの眠りから覚めるべき時が既に来ています」

とあります。「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」

第二コリント6:2、とあるようにやがて過ぎ去る今を、神の恵みの時、自分の救いの日

として捉えるのです。この今の時に目覚めなければ目覚めるときは、永久に来ないかも

知れません。初代教会の驚異的な発展には、常に切迫した終末観が背景をなしていました。

終末観とは、歴史と世界は終末、厳然たる決着があるということです。

「今や、私たちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。」とあります。

自分の救いが神によって完成されることの確かさを一層深く知る者となりましょう。