05. 7月 2019 · 2019年6月23日「ザアカイの救い」今村まさゑ協力牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「ザアカイの救い」今村まさゑ協力牧師

ルカによる福音書19章1節~10節

 

イエスさま最後のエルサレムへの旅もあと20㎞、オリエント世界最古の町エリコに入りました。2節の「そこにザアカイという人がいた。」とありますが、原文では「見よ。」と記されています。重要な人物、重要な出来事であることを意味しています。当時の徴税人はローマに納める税金を勝手に上乗せして取り立て、上乗せした分は自分のために横取りするという悪事を行っていたので、当然のことながら人々からは嫌われ、ユダヤ人(神の民)としては認めず、誰もが罪人と差別していました。金は貯め込み、頭にまでなってはいましたがザアカイは孤独でした。

3節に「イエスがどんな人か見ようとした」とあります。実はザアカイの「見ようとした」という動詞と、5節のイエスの「見上げて」という動詞は、ギリシャ語では同じゼーデオで、ザアカイの欲求とイエスの滅びる魂を救う意志が重なり合っているのです。「啐啄同時」という熟語があります、雛が誕生を待って内側から微かな音を発する、親鳥が外側から殻をつついて割る、それが同時であるように、ザアカイの欲求に対して「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まらねばならない」と主は言われたのです。

クリスマスの時、羊飼いたちに告げられた「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と同じように。彼は急いで降りて来て喜んでイエスを迎えました。人が何と言おうと、イエス様が「ザアカイ、」と名前を呼んでくださった。誰一人、自分の家に来て泊ってくれる友は居なかった・・・ザアカイは嬉しくて「主よ!」と呼ばわりました。単なる人としてのイエスではなく、救い主イエスをお迎えしました。「主よ、貧しい人に財産の半分を、だまし取った人々には4倍にして返します」と、当時の律法を遥に超える返済を申し出ました。イエスは「今日、救いがこの家を訪れた。」「この家に完成した」と宣言されました。ザアカイ一人が救われるのではなく、この家・・家族も、使用人も皆が救われるのです。「この人もアブラハムの子なのだから。」とは、神の祝福を受け継ぐ事のできるユダヤ人であるのだから。

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(10節) イエスさまがこの世に来られた目的は、生きる希望を失い、喜びは失せ、迷い、滅びに向かっている者を捜して救うためであると述べておられます。「高い所に留まっていないで、急いで降りて来なさい。」

私たちも名前を呼んでおられるイエスの声を聞き「今日」ザアカイのように喜んでイエスを迎えようではありませんか。

「わたしをお遣わしになった父が(神が)引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。」(ヨハネ6:44)

 


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