27. 6月 2019 · 2019年6月16日「恐れの奴隷ではなく、神の子」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「恐れの奴隷ではなく、神の子」 加山献牧師

ローマの信徒への手紙8章14~16節

世界ではじめて父の日が祝われたのは、1910年6月19日でした。米国ワシントン州に住んでいた女性ソノラさんが、教会で「母の日」の説教を聞き「父の日」もあるべきだと考えたことがきっかけだったそうです。ソノラさんのご家族は、お母さんを早くに亡くし、お父さんが男手一つで、6人の子どもを育てあげました。このお父さんが天に召された後、ソノラさんはお父さんへの感謝の気持ちから、自分が通う教会の牧師に頼み、父親の誕生月であった6月に「父の日」を祝う礼拝をしてもらいました。この出来事が、6月の第3日曜日の「父の日」の始まりとなりました。父の日の今日、ローマ8章14~16節の言葉が開かれています。

 

1.「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」(14節)

「導かれる」という言葉は、私たちの立ちどころが移されることを意味しています。ある場所から導き出されて、もうそこには戻らないということです。早良教会の先代の牧師であられた今村幸文先生が子どもメッセージの際によく歌ってくださった賛美があります。「福音の汽車にのってる、天国行きに。罪の駅から出て、もう戻らない。」罪の駅にはもう戻らない、古い自分、今までの自分にはもう戻らない。これが私たちの信仰の歩みです。私たちにも、神様が導こうとされている、約束の場所があることを覚えたいと思います。

 

2.「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。」(15節)

15節の「神の子とする霊」という言葉は、正確には「子たる身分を授ける霊」と訳せます。本当は受けるに値しないはずの者が、子としての地位、子としての特権を恵みとして受けることができた、ということです。それは主イエスが、持っておられたすべてのものを、私たちに与えてくださった、ということを表しています。本来、神から遠く離れていた罪人の私たちが、イエスさまの持っておられた子としての身分をいただいて、神を『アッバ、父よ』、お父さん、と親しく呼びかけることができるようになりました。

 

3.「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」(16節)

「神の霊」に対して「わたしたちの霊」という言葉があります。私たちの霊、私たちの魂は、私たちの心の深いところで、無意識のうちに自分が何者であるかということを探し求め、証明しようとすると言われています。また、私たちに与えられた環境、もしくは私たちの成し遂げることのできた何かが、私たちを外側から支えることもあり得ます。

しかし聖書は、私たちは神の子である、という最高のアイデンティティを私たちに提供します。もはや私は何者であるのか、どこに向かっていくのかということを悩むことはありません。「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって、(私たちの内側から)証ししてくださいます。」

 


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