01. 6月 2019 · 2019年5月26日「神と共に歩む」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「神と共に歩む」加山献牧師

ミカ書6章6節~8節

 

ミカは今から約2800年前に南王国ユダで活躍し、人々の罪を指摘し、警告を発した預言者でした。この当時の人々の心は神から遠く離れ、ただ形だけの礼拝をおこなっていたのです。

預言者ミカは「どのようにして私たちは神に近づくべきか」と問いかけます。続く聖書箇所において、主が私たちに求めておられることは「儀式そのもの」ではなく、「捧げもの質や量でもない」、ということが明らかにされています。そして8節に、私たちに対する神からの3つのリクエストが語られています。第1の要求は「正義を行うこと」、第2に「慈しみを愛すること」、そして第3は「へりくだって神と共に歩むこと」です。

1.「正義を行うこと」 旧約聖書の表現で、世の中が乱れているのは「それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」からだ、という言葉があります。(士師記17章6節等)神の要求される「正義」に応えるためには、「自分自身の正しさ」ではなく「神の目から見て何が正しいことなのか」と、いつも自分を吟味し、聖書の言葉と自分を照らし合わせ、神との親密な祈りの時を過ごすことが必要になってきます。

2.「慈しみを愛すること」 慈しみには「へセド」という言葉が使われています。これは神の憐れみ、神の変わらない愛、神の有する慈しみを表す言葉です。神が愛されるように、人を愛し、慈しみを持って生きていきなさい、という非常に難しい要求なのです。

神の慈しみに生きるためには、まず私たち自身が主の愛に満たされる必要があります。私たちの心は、どれほど愛されていたとしても、さらに愛されることを求め、常に飢え渇いているのではないでしょうか。すべての人は無条件の愛、無限の愛がなければ本当の満たしを得られないのです。そのような私たちの為に、神は目に見える方法でその愛を表してくださいました。それは十字架です。主の慈しみに生き、それを隣人に分かち合うために、私たちはまず、十字架のもとにひざまずき、主の愛による満たしを経験しましょう。

3.「へりくだって神と共に歩むこと」 ヘブル書10章10節(新改訳)に「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」とあります。キリストが私たちの罪のための完全な供え物として、ただ一度、十字架の上で流された血によって、私たちは聖なるものとされました。私たちは自分の力、自分の行いで神に至る道を開くことはできません。私たちの捧げものでその道を開くこともできません。神の方から、その道を開いてくださり、共に歩もう、と招いておられます。へりくだって、イエス・キリストという道を受け入れ、神と共に歩むことが、私たちに許されているのです。

 


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