10. 5月 2019 · 2019年5月5日「それでもあなたはわたしの光」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「それでもあなたはわたしの光」加山献牧師

マタイによる福音書5章13節~16節

 

主イエスは弟子達に、また集まっていた人々に「あなたがたは地の塩である」と宣言されました。古代社会では、塩は大変高価で、貴重なものでした。まずここに主イエスの想いがつまっています。私たちひとりひとりは主イエスの目に、かけがえのない、高価で尊い存在である、ということです。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節、新改訳)この言葉はそっくりそのままイエス・キリストのメッセージなのです。

そして、塩の最も大切な、最も特色ある性質は、味をつけることです。主イエスは弟子達に「この世界に、味をつけるものでありなさい」と勧めておられます。塩のかたまりを、それだけで食べる人はいません。塩は料理の中に溶けていき、自らの姿を隠した時に、初めて相手に味をつけることができます。同じように、私たちは時には己の姿を隠し、人の見ていないところで、-たとえ誰も評価してくれなかったとしても-、誠実に生きるものでありたいと思わされます。「あなた」という人がいてくれる、ただそれだけで生きていける「誰か」がいるはずです。また、その「誰か」がいてくれるから、生きていける「わたし」がいます。地の塩として生きるとは、私たちが互いに溶け合って生きることなのかもしれません。そのようにして、私たちは「生きる喜び」を互いに味わうことができます。

主イエスは続けて弟子たちに語られました。「あなたがたは世の光である。」これは私たちが主と同じ性質を持ったものに、変えられていることを示しています。「世の光」となるために、もっとしっかりしなければ、もっと良い「わたし」にならなければ、と煩うことはありません。私たちはもうすでに「世の光」なのです。私たちの行いによってではなく、恵みによって、光とかえられたのです。

私たちと主イエスの関係も、ちょうど月と太陽のようなものです。自分だけでは輝くことはできない。ただ主の光を浴びて、その光を反射するだけです。イエスさまのように強い光を放つことはできない、けれどもそのかすかな光で、暗い夜を照らすのです。ですので、私たちがなすべきことは、主イエスの光を目一杯、浴びることです。この方に心を向け、この方の十字架に目を注ぎ、この方の十字架の道を従い、そして、恵みによって、この方と共に生きていくことです。月の光は、太陽の光が存在することの揺るがない証であるように、私たちひとりひとりも、救い主が確かにおられる、ということの証となり得るはずです。

たとえ、私たちの内側に罪が潜み、深い暗闇があったとしても、この私たちの闇を照らすために光として、イエス・キリストが来てくださいました。むしろ私たちの欠けや破れから、この方の光が溢れ流れるのです。私たちは今日、もうすでに、恵みによって、地の塩であり、世の光です。

 


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