20. 4月 2019 · 2019年4月14日「主がお入り用なのです」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「主がお入り用なのです」 加山献 牧師

マルコによる福音書11章1~11節

 

いよいよ主イエスがエルサレムに入られるという時に、一頭のろばが用いられました。ろばは平和の象徴です。世の王は強い軍馬に乗って都に凱旋しますが、主イエスはろばに乗り、自らを低くして都に入られました。主イエスは力で支配する王ではなく、柔和でへりくだった王なのです。紀元前6世紀後半に活躍したゼカリヤという預言者によって、主イエスのエルサレム入城が預言されていました。

「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って。わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ。」(ゼカリヤ書9章9~10節)

人々は大喜びで主イエスを迎えましたが、彼らは主イエスに何を期待していたのでしょうか。彼らが待ち望んでいたのは、ローマ帝国の支配に抵抗し、再びイスラエルの独立を回復してくれる革命家としてのメシア(救い主)でした。主イエスの弟子たちですら、そのように考え、そのように願っていました。

ところが主イエスは、十字架にかかるためにエルサレムに来られたのです。人類の悩み、苦しみ、重荷、不安、罪と死を背負い、平和と和解をもたらす救い主が、この時、都に入られましたのです。

どれほど小さな存在であったとしても、私たちは主イエスに用いられることができます。たとえ、経験がない、小さい子ろばであっても、全人類の救い主をその背にお乗せすることができました。私たちは小さく、弱いものですが、それでも主イエスが私たちを必要としてくださるのです。この事実に大きな驚きと喜びを覚えるものです。

主イエスが語られた、良きサマリア人のたとえ話を思い起こしてみましょう。このサマリア人は、この傷ついた旅人を「自分のろばに乗せた」とあります。傷ついた旅人を宿屋まで持ち運んでいくために、ろばが用いられたのです。同じように私たちも、持てるだけの力で、主のために、傷ついた隣り人のために仕えていくことができるはずです。

ですので、私たちをつなぎとめているロープがほどかれようとする時、どうか恐れないでください。「主がお入り用なのです。」

 


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