20. 4月 2019 · 2019年4月7日「永遠の安息」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「永遠の安息」 加山献 牧師

出エジプト記20章8~11節

 

安息日はヘブライ語で「シャバット」と呼ばれています。この言葉は(シャーヴァート)「休む、止まる、やめる、座る」という意味の動詞に由来しています。神さまが「安息」を重要視されたのは、私たちの人生において「休む」こと、また時には「立ち止まる」ことが重要な意味を持っているからです。私たちは目まぐるしく移り変わる社会の中で生かされています。絶えず変化していく世界のただ中で、私たちの体にも、心にも休息が必要です。私たちは「立ち止まる」ということの価値を、もう一度吟味してみたいと思います。

私たちはなぜ安息日を守るのでしょうか。第一の理由は神を知り、神に出会うためです。詩編46編10節には次のようにあります。「静まって、私こそ神であることを知れ。」(口語訳)忙しい日々の中にも「静まる」時が必要です。礼拝は私たちに「静まること」を促します。神さまが、安息日を通して私たちに求めていることは、私たちが忙しさから退いて、神のもとにとどまり、憩うことです。

私たちが安息日を守る第二の理由は、力を取り戻すためです。どんなに優れたスマートフォンを持っていても、電池が切れてしまったのなら全く使い物になりません。必ず充電しなければなりません。同じように、私たち一人一人に与えられた賜物を、6日の間、十分に生かしていくためには、安息日にしっかりと神と繋がる必要があります。礼拝の中で力をいただいて、それぞれの職場、学校、家庭の中に遣わされていくことが礼拝の目的のひとつです。この安息の時間の中で、自らの内面を深く静かに見つめることができます。忙しい日々の中で、削れてしまった心を、もう一度見つめ直して、研ぎ澄ましてみましょう。

安息日を守る第三の理由は、私たちが自由な者とされたからです。神様はエジプトで奴隷として生活していたイスラエルの人々に解放をもたらしました。同じように、イエス・キリストは十字架と復活により、罪の奴隷であった私たちは解放されました。

私たちはこの地上にあっては、尚も様々なしがらみに縛られています。人生を生きる上で避けられない苦しみや悩みがあるかもしれません。しかし、安息の日に神の国を体験するとき、私たちは縛られた自分ではなく、すでに解放された者としての自分を発見します。神の臨在の中に永遠の憩い、永遠の安らぎを見出します。永遠の安息を、この地上に流していくことが教会の役割です。「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ。」

 


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