2019年3月10日「重たい鎧を静かにおろす」加山献牧師

「重たい鎧を静かにおろす」加山献牧師

列王記下5章4~14節

 

私たちは多かれ少なかれ、誰でも「悩み」を抱えて生きていると思います。この聖書箇所に登場するナアマンという将軍は王にも部下にも慕われている力強い勇敢な戦士でしたが、その彼にも1つの大きな悩みがありました。彼は重い皮膚病を患っていたのです。そのままにしておけば軍人として生きていくことも、家族と一緒に生活していくこともままならない、深刻な病に侵されていました。そのナアマンが癒しを受けて、神への信仰を持つに至るまでにはいくつかのステップがありました。

第一のステップは「召使いの言葉を受け入れた」ということです。ナアマンの家に、一人の少女が、イスラエルから捕虜として連れてこられ、ナアマンの妻の召使いとされていました。その少女が次のように言ったのです。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」(3節)ローマ10章17節には次のようにあります。「実に、信仰は聞くことから始まります。」ナアマン将軍は自分が敵国から捕虜として連れてきた一人の少女の言葉を聞き、それを信用して、受け入れました。

ナアマンの二番目の信仰のステップは「恵みを求めて出かけていった」ということです。彼はすぐに自分の王にこのことを相談しました。そして手紙とたくさんの贈り物を携えて出かけていきました。新約聖書にも「御言葉を行う人になりなさい」(ヤコブ1章22節)という教えがあります。行いによって救いと癒しを得なければならないという意味ではありません。私たちはただ恵みによって、一方的な神の憐れみによって救われ、癒されます。ですが私たちには、その無償の恵みを受け取りに行く必要があるのです。誰かがプレゼントをくださろうとしているならば、手を伸ばしてそれを受け取る必要があります。受け取ることを通して、私たちはその恵みを享受し、味わうことができます。ナアマン将軍は恵みを求めて出かけていきました。

ナアマン将軍の三番目の信仰のステップ、それは「重たい鎧をおろした」ということです。ナアマンは皆に尊敬され、愛されている勇敢な戦士であり、アラムの国の英雄でした。鎧は彼の誇りの象徴でした。しかし、その誇り、プライドをおろして、従順にならなければなりませんでした。ナアマン将軍は今まで、自分の力を頼りに生きてきたことでしょう。自分の力で勝ち続けてきた人生であったかもしれません。しかしこの章の1節を注意深く読んでみたいと思います。「アラムの王の軍司令官ナアマンは、主君に重んじられ、気に入られていた。主がかつて彼を用いてアラムに勝利を与えられたからである。」(1節)自らの力で何かを成し遂げた、という経験があったとしても、その過去の出来事すらも、主が用いてくださって、勝利を与えてくださった故だというのです。それならなおのこと、自らの力によって救いと癒しを勝ち取ることはできません。ナアマンに必要だったのは恵みを受け取るための従順でした。

鎧を着た彼は、知らない人が見れば非の打ち所のない、完全そのものだったことでしょう。しかし、その鎧の内側はどうだったでしょうか。自分ではどうすることもできない病、自分ではどうすることのできない弱さを抱えていました。ですが弱さもそのままに、汚れもそのままに、隠すことなく主の前に出ても良いのです。イエス様は言われました。「子供たちを私のもとに来させなさい。・・・子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

 

 

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