12. 3月 2019 · 2019年2月24日「尽きることはない」加山 献 牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「尽きることはない」 加山 献 牧師

列王記上7章8~24節

 

エリヤという預言者が活躍したのは、今からおよそ2900年前でした。当時、イスラエルの国は干ばつと飢饉にみまわれていました。この飢饉の中で、神様はエリヤに対して、シドンのサレプタという町に向かうように言われました。しかも、そこに住む一人の未亡人にあなたを養わせる、というのです。この時代において、未亡人とは保護の対象でした。伴侶に先立たれた女性は、ただ守ってもらうほか成す術がなかったのです。その上、大干ばつ、大飢饉の時代です。社会的に弱い立場にある未亡人は真っ先に窮地に立たされていました。ところが神様は「最も力無き者を用いて、あなたを助けよう」とエリヤに語っておられるのです。力無き者を用いる神、これは聖書に何度も現れるモチーフです。

エリヤは神様の言葉を信じ、サレプタの街にやってきました。そして、一人の女性と出会うことになるのです。長い旅の故に、エリヤは空腹と渇きを覚えていたことでしょう。彼はパンと水をこの女性に求めました。彼女は答えました。「わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」(12節) その彼女にエリヤは言いました。「恐れてはならない。まずわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後、あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない。」(13~14節) この女性は大きな決断を迫られました。目の前にいるこの人は、本当に神の言葉を語っている預言者なのか。それとも偽りを語る者なのか。女性はどのように応答したでしょうか。「やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。」(15~16節) この女性と同じように、耳にする聖書の言葉をどのように判断し、どのように応答するかは、私たちに委ねられているのです。恵みと祝福を受けるために、このサレプタの女性のように信仰によって決断し、応答する者でありたいと思います。

この女性はエリヤのためにパンを焼くという試練に耐えました。しかし、この女性にさらなる試練が訪れました。夫を失った今、生きる喜びそのものであった息子が亡くなるという試練です。サレプタの女性に関して、2つの試練と2つの奇跡が記されていますが、この2つ目の試練は、より私たちの人生の問題の本質を明らかにしています。それは「死」という私たちの究極的な問題です。そして、2つ目の奇跡の方が、より神様の恵みの本質を明らかにしています。いくら小麦粉や、油が尽きなかったとしても、愛する者の「命」が尽きてしまったら、私たちの「命」が尽きてしまったら、一体何になるのでしょうか。神様は私たちに物質的な祝福、日々の糧をも与えてくださる方です。しかし、神様が私たちに与えてくださる祝福の中で、最も大切な事柄は目に見えるものではありません。目に見えない命こそが物質的なものに勝る恵みであり、祝福なのです。十字架の主イエスによって、信仰、希望、愛、そして 私たちの「命」は尽きることはありません。

 

 

 


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