28. 2月 2019 · 2019年2月17日「平和、はじめました」加山献 牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「平和はじめました」 加山 献 牧師

マタイによる福音書5章9節

 

イエスさまは「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と語られました。争いに溢れている世の中から離れて、ひっそりと平和を楽しみなさい、という意味ではありません。争いのあるところに出かけて行って、そこに平和を生み出しなさい、と語られているのです。新約聖書では「平和」もしくは「平安」と訳されている言葉は88回使われていますが、大きく分けて3つの平和に関するテーマが論じられています。そのうち、2つの平和に関する教えに注目したいと思います。

第一に神様との平和が語られています。私たち人間と神様との間の平和が必要であるというのです。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。・・・神と和解させていただきなさい。」(第二コリント5章18節~20節) 神様と和解する必要があるということは、私たちは皆、神様に反抗し、神様に背を向けている状態にあった、という前提があります。神様を無視して、神など存在しないかのように生きていくことを聖書は「罪」と呼んでいます。ところが、神様はその人類を呪うためにではなく、愛してくださり、救うために、キリストを送ってくださいました。この和解は、神様の方から懇願するように、申し出てくださったことなのです。

第二に、人と人との平和、隣人との平和があります。私たちは国と国、人種と人種の間が分断された世界に住んでいます。私たちはこの世界にあって、あらゆる破れを結びつけていく働きに招かれています。エフェソの信徒への手紙2章14節~17節には次のようにあります。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」

エフェソ教会にはユダヤ人とギリシア人という異なるバックグラウンドを持つ人々が集まっていました。彼らは、以前は激しい民族的対立、それぞれの文化的なプライド、宗教的背景などの違いによって、互いに排除しあっていました。ところが今や、彼らは同じ教会に集まり、同じ神様を礼拝し、一緒にご飯を食べるようになっていました。キリストの十字架によって、肌の色に関係なく、生まれた場所に関係なく、私たちはひとつの家族となることができます。私たちが神の子とされたということは、私たちはキリストにあって兄弟であり、姉妹とされたということです。

しかし、歴史を振り返ると、絶えず平和は破られてきました。人間の持っている罪の深さがここに現れています。それどころか、20世紀に起きた2度の世界大戦は一般的にキリスト教国と呼ばれる国々が舞台となって戦われました。戦後、教会は、痛みと悔い改めの中から再出発することになりました。

イエスさまは、このような人間の現実を良くご存知であったはずです。それでもなお、絶望の言葉を語るどころか、希望を持たれるように語られました。その夢を弟子たちに託すように「平和を実現する人々は幸いです」と宣言されました。イエスさまはそれでも人を信じてくださったのです。人と人が愛し合う姿を、人と人が許しあう世界を、イエスさまは夢見てくださいました。私たちは主と同じ夢を見るものでありたいです。誰が主の願いに応え、世界に宣言するでしょうか。「平和、はじめました。」(2月17日)

 


Comments closed