09. 2月 2019 · 2019年2月3日「この夜が明けるまで」 加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「この夜が明けるまで」加山献牧師

創世記32章23節~33節

ヤコブはひとり、川の流れの音を聞きながら、夜の闇を見つめていました。ヤコブにとっては、夜の闇よりも、朝が来ることの方が怖かったかもしれません。明日、兄エサウに再会しなければなりません。しかし、かつて兄エサウに対しておこなった悪い仕打ちが重荷となってヤコブの肩にのしかかっていました。

ところが突然、ヤコブの孤独を破る存在が現れました。何者かがヤコブに襲いかかって、夜明けまで格闘した、というのです。聖書の中に、後にも先にもない、不思議な記述がここにあります。ヤコブは人間と戦うように、神と格闘した、というのです。

なぜ神は人の姿を取られ、降りてこられ、ヤコブに闘いを挑まれたのでしょうか。この格闘の意味について、ユダヤ教もキリスト教も、それぞれの歴史の中で、数多くの解釈に導かれてきました。多くの解き明かしに共通していることは、この闘いはヤコブを傷つけるためのものではなく、ヤコブを整えるための闘いであったということです。この格闘は、神様による、ヤコブのための「変革のプロセス」でした。

神さまが周りの状況を変えてくださるだけなら、もっと楽かもしれません。神さまが他の人を変えてくださるだけなら、もっと楽かもしれません。自分が変わらなければならない、ということはとても辛いことです。けれども、私たちは自分が変えられることを恐れずに歩んでいくものでありたいと思います。

ヤコブは、死にものぐるいで、戦わざるを得なくなりました。今までの人生で、一度も出したことのないような力を振り絞って、ヤコブは必死で闘いました。26節には、「その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打った」とあります。なんとヤコブが優勢に戦っている、というのです。今までの人生、逃げてばかりいたヤコブが、生まれて初めて、真正面から誰かとぶつかり合って、勝利しようとしています。

この戦いの中で、最も特徴的なことは、「神が人に敗北した」ということです。神様がヤコブに負けてくださったのです。それは、ヤコブに勝利を与えるためでした。同じように、イエス・キリストもこの地上にこられました。神様が人の姿をとって、この地上に来てくださり、十字架についてくださったのです。十字架は当時、最も酷い死刑の道具でした。それは敗北以外の何ものでもありませんでした。イエス様はこの敗北を甘んじて受けてくださいました。それは私たちの人生に勝利をもたらすためでした。

私たちの人生に、度々夜は訪れます。一晩中闘い続ける、暗い夜があるかもしれません。その中で痛みを経験するかもしれません。けれども、必ず朝がきます。その戦いは、私たちに勝利をもたらすための闘いなのです。(2月3日)

 


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