11. 1月 2019 · 2019年1月6日「恵みの年が来た」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「恵みの年が来た」 加山献牧師

ルカによる福音書4章16節~30節

 

主イエスは公の活動を開始するにあたって、ガリラヤ地方を最初の宣教地とさました。主はしばしば安息日ごとにシナゴーグと呼ばれる会堂に入って教えられました。お育ちになった故郷ナザレを訪れた際にも「いつものとおり安息日に会堂に入った」とあります(16節)。その会堂は主イエスが幼い頃から通われた、懐かしいシナゴーグでした。会堂での礼拝の中で、イザヤ書が主イエスに渡されました。主イエスにみことばの朗読と解き明かしが委ねられたのです。この時読まれたイザヤ書61章は救い主メシアに関する重要な預言のひとつでした。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、 主の恵みの年を告げるためである。」(18節~19節)主はこのイザヤの預言を読み終わると「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されました。ご自身が来るべき救い主メシアであるという事をはっきりと宣言されたのです。人々は異口同音に主イエスをほめて、その口から出る恵み深い言葉に驚いたと22節にあります。しかし、そのほとんどの人々が子どもの頃からの主イエスを知っていました。そのことが彼らのつまずきとなりました。そこで主イエスは、旧約の預言者エリヤとエリシャのエピソードを持ち出して、ナザレの人々の不信仰を指摘され、ご自身は他の人々のもとへ向かうことを告げられたのです。

「もしあなた方が良い知らせに飢えている貧しいものでないならば、他の人々がいる。あなた方が解放を待ち望んでいる囚人である事を認めないならば、この解放はあなた方のところには来ない。あなたがたのために素晴らしい神の計画がある。しかし、あなたがたがその神の計画に参加しないならば、恵みの年はあなたがたのところに訪れることはない。」そのように主は言われたのでしょう。

ナザレの人々は目の前に自分たちのための救い主がいるにも関わらず、その人を認めず、殺そうとしてしまいました。なんという悲劇でしょうか。ここにユダヤ教とキリスト教の対立が描かれているわけではありません。聖書の言葉を聞かされた人々の内側に起こる、自分自身との対立が描かれているのです。怒りと拒絶は自分にとって受け入れがたい真実に直面した人々の最後の防御でした。聖書の言葉は私たちの罪を指摘します。私たちの見たくない、認めたくない本当の姿に光を当てます。ですがひとたび、このみことばの前に降参し、服従するならば、自分が良い知らせに飢えている貧しいものであり、解放されるべき囚われ人である事を認めるなら、その人は神の恵みを受け取ることができます。神はすべての人に無償で、一方手的に恵みを与えようとしておられます。わたしたちはそれらの恵みを受け取るべきです。

この新しい年も、神がキリストの十字架によって与えようとしておられる恵みを受け取る続ける年としましょう。赦し、解放、励まし、慰め、信仰、生きる希望、愛、平安、感謝、喜び、永遠の命、人生の目的、それらを受け取ることができる恵みの時代、恵みの年が来たことを主は宣言されました。 (1月6日)

 

 


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