21. 12月 2018 · 2018年12月9日「人に神を求めさせる為に」ラス・ボーグ宣教師(日本バプテスト宣教団) はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「人に神を求めさせる為に」ラス・ボーグ宣教師(日本バプテスト宣教団)

使徒言行録17章26節~27節

 

神様を求めるという事について、聖書は何を語っているのでしょうか。詩編25編には次のようにあります。「主よ、あなたの道を私に示し、あなたに従う道を教えて下さい。あなたのまことに私を導いて下さい。教えて下さい。あなたは私を救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。」これが神様を求めるという事です。このダビデの心こそが、神様をもっと深く知りたいと望む人の心であり、このような祈りこそが、神様を喜ばせたいと思う人の祈りなのです。

次に、使徒言行録17章25節後半から26節の言葉に注目しましょう。使徒パウロは、ギリシャのアテネにおいて、神様を知らない人々に対して、天地創造からイエス・キリストの復活までを網羅し人々に宣教して、次のように言いました。「すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の去るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。神様は一人の人からすべての国の人々を造り出され、全ての人に命と息をお与えになられたのです。」

神様が人類を造られたということが明言されています。それでは何故、神様は人間をお造りになられたのでしょうか?もし神様が人間を造られたのであれば、人は神さまから何を期待されるのでしょうか?続く27節を見てみましょう。これは「人に神を求めさせる為」であり、また「彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことが出来るように」ということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。神様を求める為に人は造られたのです。

詩編53編2節はこのように伝えています。「神は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないかと。」神様はご自分を求める人に対して、次のようにお答えになられます。「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら。」(エレミヤ書29章12~13節)

もちろん私達はクリスチャンになった後も、神様を求める事を決してやめません。ルカによる福音書の中ではこう語られています。「それから、イエスは皆に言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』」

私達がイエス様の弟子になれば、日々、毎日、イエス・キリストについて行く必要があります。「自分を捨てる」という事はどういう意味なのでしょうか?それは、自分自身の行きたい道よりも、主イエス・キリストがあなたの為に準備された道を求め、進む、という事です。主があなたの為に準備された道は、やさしい道ではないかもしれません。しかし、その道を進んで行き、後に振り返った時に、神様がその道へ導いて下さった理由がわかるはずです。その理由を知らされる時に、あなたの心は満たされることでしょう。

私達は人生において、多くの悩み、迷いがあります。また、多くの決断をしなければなりません。しかし感謝な事は、聖書の中に神様の導きについての約束がたくさん与えられていることです。その一例は詩編32編です。「わたしはあなたを目覚めさせ行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で働きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。」「行くべき道を教えよう」と神様が約束されています。このみ言葉に対して、私達の成すべき責任もあります。それは私達が神様に近づくことです。つまり主に従って行き、その御心を絶えず求める事です。これは私達にとって、とても大切な、神様に対する態度です。

(12月9日)


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