21. 12月 2018 · 2018年11月18日「わたしは復活であり、命である」今村幸文協力牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「わたしは復活であり、命である」今村幸文協力牧師

ヨハネによる福音書11章25節~27節

 

今日のみ言葉は、ヨハネ福音書11章25~27節です。先ず11章では、マリアとその姉妹マルタの兄弟ラザロの病と死が語られています。病と死は私たちの現実です。今朝私たちは先に天に召された兄弟姉妹方を偲び、肉体的な死で終わらない命の主に礼拝を献げるために御前に集まって参りました。

教会の宣教の言葉が、ある人に届く時、その時その場で主イエス・キリストとその人との出会いが起こります。主イエス・キリストの言われる命とは、原語でゾエーとなっていて肉体的な死でさえも奪いとることのできない命であることを意味しています。

主イエス・キリストは、今日のみ言葉で「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」と言われました。主イエスが墓の中にいるラザロに向かって「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれると死んでいた人が手と足を布で巻かれまま出て来たのです。このことは、父なる神が主イエス・キリストをお遣わしになったことを周りにいる群衆に信じさせるためであったのです。よみがえったとはいえ、ラザロの命は、やがてまた死ぬ地上の命に過ぎません。主イエスによるラザロの復活は「死んでも生きる」命の「しるし」です。

「復活であり、命である」主イエス・キリストを信じることによって私たちは、死が持つ絶望と虚無の力に勝利するのです。わたしたちの悲しみに同情してくださる十字架の主イエス、死と戦い、勝利された復活の主イエスを信じることが「死んでも生きる」命です。

主イエスは「わたしは復活であり、命である。このことを信じるか」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると、わたしは信じております。」信仰は私たちの所有物ではなく、主イエスの問い「あなたはこれを信じるか」にマルタのように信じて応答し、告白することによって成り立つ、主イエス・キリストとの命のつながり、交わりです。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは自らの力によるのではなく、神の賜物です。」(エフェソ2章8節)神の賜物としての信仰に注目させられます。「信じます」この信仰の告白が、死に勝ち、希望に生きる力なのです。主イエス・キリストを信じることが、神の力、聖霊を受けることであり、キリスト者・クリスチャンをつくり、教会をたて、愛と平和と希望の世界を築くのです。

(11月18日 召天者記念礼拝)

※奇しくもこの復活についてのメッセージが、今村幸文先生の早良教会における告別説教となりました。

 


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