20. 11月 2018 · 2018年11月4日「人類憐れみの令」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「人類憐れみの令」加山献牧師

マタイによる福音書5章7節

イエスさまは「憐れみ深い人々は幸いである」と言われました。この言葉には「あなたたちは互いに憐れみ深く生きる者であってほしい」というイエスさまの願いが込められているように感じます。私たちにとって「憐れみ深く生きる」とはどのようなことなのか、2つのポイントで考えたいと思います。

第一に「憐れみ深く生きる」生き方は一人ではできない、ということです。私たちはいつも誰かに助けられ、誰かに支えられて生きています。時には自分が誰かを助け、支える側に立つこともあるでしょう。裕福な人も貧しい人も、強い人も弱い人も、誰も一人で生きていくことはできません。旧約聖書の天地創造の中で、神さまは最初の人アダムを造られた時に言われました。「人は一人でいるのは良くない。」これこそが聖書が一貫して語っている、人間の現実だと言えます。

時に、人間関係のしがらみは私たちを苦しめることもあります。それでも「私」という存在は「他者」と共に生きていくように造られました。「憐れみ深く生きる。」それは人と人との交わりの中に身を置かなければ成し得ない生き方です。「私」は誰かのために生まれてきて、誰かを愛して、誰かを支えている。そして「私」のために生きることを選び、いつも隣にいてくれる誰かがいる。神さまが私たちに願っておられる人生の歩みです。私たちは共に生きていきましょう。

第二に、「憐れみ深く生きる」ことは神の憐れみの 深さを知りつつ生きることです。「憐れみ」とは神さまのご性質です。その憐れみの故に、神さまはひとり子であるイエスさまをこの地に遣わしてくださいました。そして、その憐れみの故に私たちは受け入れられたのです。「憐れみ深く生きる」ことは、神の変わることのない愛を信じ、その赦しを受け取り続けることです。

私たちは、神の愛の大きさをどこまで味わっているでしょうか。神の赦しの大きさをどこまで体験できたでしょうか。私の想いをはるかに超えている神の愛、極めつくすことのできない大きな憐れみを、日ごとに深く、より深く、味わって生きるものでありたいです。私たちは、十字架のもとに立ち帰るたびに、自分がどれほど赦された者であるか、自分がどれほど愛されている者であるかをより深く悟ります。何度でも十字架のもとに帰りましょう。十字架こそが「私の憐れみ」の土台であり、プラットホームです。


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