20. 11月 2018 · 2018年10月28日「金や銀はないけれど」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「金や銀はないけれど」 加山献牧師

使徒言行録3章1節~10節

ペテロとヨハネは「午後3時の祈りの時」に神殿に登っていったとあります(1節)。ユダヤの人々は日に三度の祈りの時を持っていました。朝の祈りはシャハリート、午後の祈りはミンハー、夕方の祈りはアマリヴと呼ばれています。ペトロとヨハネも、このような日々の祈りを大切にしていたことがわかります。大きな奇跡の背後には、小さな祈りの積み重ねがあったのです。

足の不自由な男性が毎日神殿の門の前で物乞いをしていました。聖書は「彼は毎日運ばれて来て、置かれていた」(2節)と表現しています。この男性は生まれてからずっと、他人から助けてもらうほか生きる術を知りませんでした。「美しい門」と呼ばれていたこの門を、彼はどのような想いで見つめていたのでしょうか。このような男性に対して、ペトロとヨハネは「わたしたちを見なさい」と語りかけました。自分たちを誇るためではなく、自分たちが何によって生きているか、何によって生かされているかを見てほしかったのだと思います。そして、ペトロの有名な宣言が続きます。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(6節)

イエスに従う者たちは金や銀は持っていなかったけれど、それよりもはるかに価値あるものを持っていました。それはイエスの名の力、イエスの名によって癒す力です。この世界には癒されるべき多くの苦しみがあります。私たちが世に与えることのできる最善のものはイエス・キリストであり、その名による救いと癒しです。「すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。」(7~8節)この時、彼は生まれてはじめて自分の足で立ち上がり、自分の力で歩きだすことができました。ナザレの人イエスの名によって生きる新しい人生、神を賛美しながら前へ、前へと進んでいく人生を歩み始めたのです。

人々は、この男性が立ち上がり、歩き回りながら神を賛美している姿を見て、「我を忘れるほど驚いた」(10節)とあります。彼が癒され、自分の足で立ち上がり、喜びに満ちあふれ、神を賛美している姿は、周囲の人々に驚きと神に対する畏れをあたえました。私たちの人生の最大のターニングポイントはイエス・キリストに出会えたことでした。この出会いほど私たちの人生を方向付ける出来事はありませんでした。悲しみや困難の中から、私たちを立ち上がらせて、喜びを与えてくださった方がいる。賛美せずにはいられない。そのような体験が私たちにもあります。私たちの内側から溢れ出る喜びと賛美、これに勝る証はありません。


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