31. 10月 2018 · 2018年10月7日「何が心を満たすのか」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「何が心を満たすのか」加山 献 牧師

マタイによる福音書5章6節

イエス様が語られた8つの祝福の4番目の祝福は次の通りです。「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。」イエス様が言われる「義」とはいったいどのようなものなのでしょうか。この言葉は、人間の目から見た正しさではなく、神様の基準から判断される圧倒的正しさ、揺るがすことのできない正しさを表しています。

旧約聖書が語っている二つの出来事に注目したいと思います。それは創造と堕落です。私たちが住んでいるこの世界は偶然に存在しているのではありません。天と地、この世界の全ては神様の意志によって造られ、神様の意思によって保たれ、存在しています。私たちひとりひとりも偶然に存在している訳ではありません。神様が丁寧に愛を込めてひとりひとりを造ってくださり、今、私たちはここにいるのです。

ところが、本来良いものとして造られた世界が堕落してしまったのです。神様がご覧になって「甚だ良い」と言われた世界が、もはやあるべき姿を持っていないのです。人が「神のようになる」という誘惑に勝てなかった時、人と神との関係が破れ、人と人との関係が破れ、人間と自然界の関係も破れてしまいました。人が「善悪を知る木の実」を食べてしまった時から、善悪の判断の基準は神から人に移ってしまいました。「私」という人間が善悪を判断し、他人を裁き、神をも判断するようになってしまったのです。

ですが聖書が語る三番目の出来事があります。失われた世界を回復して、取り戻そうとする神様の意志、救いの計画です。神様は、人間との関係を回復されることを望まれました。私たちがあるべき姿に戻される時、人間同士の関係が癒され始めます。全ての民族、全ての家族、全ての隣人の間に和解の働きが起こされます。人間と自然界の関係も修復されます。私たちが「義を求める」とは「神の願われる本来あるべき姿」に戻ろうとすることです。そして、この世界の破れ口に立って執り成し、神の正義が実現されるための働き人となる事なのです。

渇いている、という自覚がなければ、私たちは求めることができません。私たちは今一度、自分自身の魂に目を向けてみたいと思います。私たちの飢え渇きとは、イエス・キリストへと結びつくということです。そこに「満たし」があります。本来あるべき姿の私に戻りたい、神様との正しい関係に戻りたい、このような飢え渇きを持つ人は幸いだと、イエス様は言われます。(10月7日)


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