12. 10月 2018 · 2018年9月23日「見捨てられたと思う時に ~ エリヤから学ぶ」 K・J・シャフナー 協力牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

『見捨てられたと思う時に ~ エリヤから学ぶ』 K・J・シャフナー  協力牧師

列王記上19章1~18節

 

エリヤという旧約聖書の預言者から学びたいと思います。神様は彼を用いて御自分の力を示されました。たとえばエリヤの祈りによって3年間雨が降らなかったこと、僅かの小麦粉と油で奇跡的に養われたこと、亡くなった男を生き返られたこと、大勢のバアルの預言者との対決のことなどがあります(17~18章)が、それらの出来事にはそれほど心惹かれませんが、19章の出来事は私の心に響きます。

4節に彼の見捨てられていた気持ちが見られます。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖に勝るものではありません。」なぜ彼がそう語ったのかを考えましょう。一つの要因は恐れです(3節)。イゼベル女王は彼を殺すと脅しました。そして対決の後、エリヤの感情に変化が見えます。勝利の高い山から失敗の低い谷に落ちてしまったのです。次の要因は疲労でした。マラソンの何倍もの距離を進み、彼は心身ともに疲れていました(3節)。また5節には、彼の無力感や自己憐憫の気持ちが見えます。「わたしは一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうと狙っています。」最後に彼の精神状態に影響与えたことは、彼を支え、彼の考え方の間違いを指摘してくれる友がいなかったことです。エリヤは逃亡中に「自分の従者をそこに残し」ました(3節)。一人ぼっちとなったエリヤは見捨てられているという気持ちに陥ってしまったのです。

次に神様はエリヤの気持ちをどのように扱われたかについて考えましょう。最初に神様は彼に必要な休みと栄養を与えられました(3~5節)。御使いはパン菓子と水を用意しました。その後、神様はエリヤの話に耳を傾けてくださいました。彼はついにその鬱積した感情を解放することができたのです。神様の問いかけは、彼を新しい考え方に導きました。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」その問いの中で、エリヤは自分の恐れ、自分の感情に向き合うことができました。そして神様に対する考え方も変わりました。神様はエリヤに御自身の姿を現わされました。エリヤは激しい風、山を動かす地震や火を体験しましたが、神様はその中におられませんでした。神様は御自分の「静かにささやく声」を通してエリヤに現れました。そしてエリヤに新しい仕事を与えられました(15~18節)。新しい王、新しい預言者に油を注ぐように指示され、バアルに膝むいていない7,000人が残っていることを彼に知らせました。

見捨てられたと思う時という気持ち気は珍しくないもので、聖書の中に登場人物にも教会の人々にも現れるものでもあります。エリヤの体験から学びましょう。


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