10. 9月 2018 · 2018年8月26日「誰かのための声となる」加山献 牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

『誰かのための声となる』 加山献 牧師

ヨハネによる福音書1章14~23節

バプテスマのヨハネは、イエス・キリストが公の活動を始める少し前に、ヨルダン川付近で宣教活動をはじめ、ただひたすらにキリストを指し示し続けた人でした。当時の人々はバプテスマのヨハネの語るメッセージに注目し、多くの群衆が彼の周りに集まってきました。「もしかしたらこの人が救い主メシアなのではないか」と考える人もあり、また他の人は「偉大な預言者と謳われたエリヤの再来ではないか」と考えました。そこで、エルサレムの人々はバプテスマのヨハネのもとに使いを出して「あなたは、どなたですか」と尋ねさせたわけです。バプテスマのヨハネは預言者イザヤの言葉を引用して「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」と答えました。

荒れ野で叫ぶ「声」であるとは、「私は誰かに何かを伝える存在」であるということです。同時に「私はいずれ消えていく存在である」という意味にも聞きとれます。声帯から声が発されて、空気を揺らして、誰かの耳に届きます。ひとつひとつの空気の振動はわずかな時間で消えていきます。

同じように、私たちの人生も儚く過ぎてゆき、やがて消えていきます。私たちが世を去った後、一体この地上に何が残るのでしょうか。私たちはいったい何を残したいでしょうか。たとえ儚く過ぎてゆく人生であっとしても、私たちもまた、「誰かのための声」となるために生まれてきました。私たちは一人一人違った声質を持っており、まったく同じ声紋を持っている人が二人といることは非常に稀であるそうです。荒れ野のような時代の片隅で、私たちは光を指し示す唯一無二の「声」として、それぞれの場所に遣わされているのです。


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