21. 7月 2018 · 2018年7月8日「いつまでたっても新しい」 加山 献 牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

『いつまでたっても新しい』 加山 献 牧師

第二コリントの信徒への手紙5章16~21節

ギリシア語で「新しい」を意味するふたつの言葉があります。ひとつは「ネオス」、もうひとつは「カイノス」という言葉です。「ネオス」は時間的な意味で「新しい」という意味です。わたしたちが普段から使っている「新しい」という言葉と同じ意味です。このネオスというギリシャ語が英語のNewという言葉の語源になりました。一方で「カイノス」は「質的に新しい」という意味になります。「ネオス」という言葉と対比させてみると「いつまでたってもかわらない新しさ」ということができると思います。いつまでたっても新しいものがこの世界に存在するでしょうか。私たちの衣服も、私たちの家も、車も、テレビも、わたしたち自身も、刻一刻と古くなっていくのです。この世界の全てがいつかは過ぎ去っていくという宿命を負っています。

17節には次のようにあります。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」以前は自分のために生きる者だったが、今は自分のために死んで復活してくださったキリストのために生きるものになったとあります。新しく造りかえられることとは、私たちの性格や気質がかわるということだけではなく、神様が完全にわたしたちの存在理由を変えてくださるということです。神様はわたしたちを部分的に調整しようとされるのではなく、完全にキリストに属するものにしてくださいます。私たちがイエス・キリストと出会うなら、この世を見る観点も、神を見る観点も全く変わります。自分のために生きる人生から、新しい目的に生きる人生にかえられます。

この世界の中で決してかわらない存在は神様と神に属するものだけです。「草は枯れ、花はしぼむが、私たちの神の言葉はとこしえに立つ」(イザヤ40:8)という預言者イザヤの言葉が旧約聖書にあります。そしてこの神の言葉は肉となってこの地に来られました。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(ヨハネ福音書1:1)「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハネ福音書1:14)永遠にかわることのないイエス・キリストが私たちの中に来てくださったのは、私たちひとりひとりを永遠の領域に招くためでした。私たちひとりひとりを「いつまでたっても新しい」イエス様の性質に属するものにかえてくださるためだったのです。


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