21. 7月 2018 · 2018年7月1日「もうふりむかない」 加山 献 牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

『もうふりむかない』 加山 献 牧師

イザヤ書43章16~20節

この預言者の言葉がユダヤの人々に届けられたのは、バビロン捕囚が起こってから約50年後であったといわれています。故郷を奪われ、遠い異国の地で過ごしていた人々に対して語られた言葉です。「主はこう言われる。海の中に道を通し、恐るべき水の中に通路を開かれた方。」(16節)これはモーセに導かれてきたイスラエルの民の出エジプトの出来事を語っています。

このことはユダヤの民が決して忘れてはならないことでした。「わたしたちを助けてくださった神様がおられる。」これがユダヤの人々の信仰の出発点でした。ところが18節で「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな」と語られています。なぜ神様はご自身の偉大な救いの歴史を思い出すなと言われるのでしょうか。それはこの預言を聞くひとりひとりに過去の栄光ではなく、未来にある希望に目を向けさせるためでした。神様が「これから」何をなさろうとしているのか、ということに関心を向けさせるためでした。この預言の言葉は「もはや神様に何も期待しなくなった人々」に向けて語られていました。そのような人々に「見よ、新しいことをわたしは行う。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」(19節)と神さまが言われたのです。たとえそのように思えない状況の中でも「今や、それは芽生えている」と聖書は語ります。芽生えてから、実を結ぶまでにはしばらくの時間がかかるように、この預言の言葉が語られてからなおも20年、捕囚の期間は続きました。しかしこの言葉通り、やがて人々は捕囚から解放されました。

この預言の言葉を聞いていた、別のタイプの人々がいました。バビロンでの生活が50年続くあいだに、バビロンで生まれ育った人々です。かつてエジプトに寄留していた時、イスラエルの人々は奴隷として、苦しい生活を強いられました。一方、70年間のバビロンでの生活は意外と優遇されていました。大都市バビロンは意外と住み心地が良かったのです。もう砂漠の中を旅して帰るつもりがない、今の生活にとても満足している、そのような人々もいました。聖書の中でバビロンという言葉はこの世の象徴として用いられています。わたしたちはバビロンで満足してはなりません。この世界は素晴らしいけれども、この世で満足してはならないのです。もっと素晴らしい場所を神様が備えてくださっていることを、思い起こしたいと思います。「野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ、わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。」(20節)これに対しイエスさまは「渇いている人は誰でもわたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ福音書7章37節)「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ福音書4章14節)と約束してくださいました。苦々しい過去にとらわれず、過ぎ去った栄光をふりかえらず、わたしたちの道であり、わたしたちの未来であり、またわたしたちの希望である、イエス・キリストに目を注ぎましょう。


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