20. 6月 2018 · 2018年6月10日 「祈り、讃美、奉献」 今村幸文 協力牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

『祈り、讃美、奉献』  今村幸文 協力牧師

歴代誌上29章1~17節

ダビデは神殿建築のために多くの備えをしてきました。そして、この聖書箇所において、ダビデはイスラエルの全会衆を前にして、奉献の奨めをします。「わたしは、わたしの神の神殿に対するあつい思いのゆえに、わたしの個人の財産である金銀を、聖所のために準備したこれらすべてに加えて、わたしの神の神殿のために寄贈する。・・・今日、自ら進んで手を満たし、主に差し出す者はいないか。」(3~4節)するとイスラエルの民は「全き心を持って自ら進んで主にささげた」とあります。

更にダビデは感謝の祈りを主にささげました。祈りはわたしたちの信仰生活の呼吸そのものです。主イエスも祈りの生活を大切にされました。神殿建築という大きな働きを前にして、ダビデは祈りによって主に向かい合っています。

ダビデの祈りは讃美から始まっています。「わたしたちの父祖イスラエルの神、主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように。偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。・・・わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。」(10~13節)ここに、わたしたちがダビデの祈りに学ぶところがあります。わたしたちの祈りと讃美はつながっているでしょうか。ついつい願いの祈りばかりが多くなってしまいがちのわたしたちです。主が弟子たちに教えてくださった祈りのように「御名をあがめる」祈りを心がけていきたいです。

14節では、王であるダビデが次のように言うのです。「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。」主の前にあっては何者でもないわたしであることをわきまえている祈りです。ダビデは次のように続けます。「すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。」わたしたちには、自分の持っているものを自分のものと思う心が入り混じっていないでしょうか。ダビデが祈っているように、わたしたちの持っているものすべてが主によって与えられたものなのです。与えられたものを主にお返ししていく、それが「奉献の心」です。


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