2023年12月3日「秋の自然に身をおいての祈り」ヒラルド・ロドリゲス師

自然を楽しむことによって、私たちは神の被造物をただちに見るという機会を得ます。この自然はまさに創世記で語られる神の創造の業であると、実践的に私たちに思い起こさせてくれます。自然を眺めることによって気付かぬうちにアウトドア体験が祈りへと変えられるかもしれません。

新鮮な空気は神の聖なる息吹を思い起こさせてくれます。優しくありながらも力強い風、まさに神の聖霊のようです。パンデミックや道徳的な混乱といった時代において、どうか聖霊なる主が優しく、しかし力強く来てくださり、私たちひとりひとり、教会、日本、そして全世界を新たにしてくださいますように。

時折、イエス様は山で一晩中祈って過ごされました。沈黙と孤独というものはキリスト者の霊性における長い伝統において重要な訓練であると捉えられてきました。たとえば16世紀のスペインの有名なキリスト教神秘主義者に“十字架のヨハネ”という方がいます。“十字架のヨハネ”は単に神学的な働きによってではなく、とりわけスペイン語圏古典文学の至宝ともいうべき美しい詩の著作でも知られています。

彼は言語、言葉の達人でした。逆説的なのですが、彼の霊的著作は沈黙に関する深い教えが書かれており、沈黙の詩人と呼ばれています。“十字架のヨハネ”は「我々の最も重要な務めは神の前で静まり続けることにある」と教えました。なぜなら神は沈黙の愛という言語を理解するからだ、というのです。

もしもあきらめずに待つことができるなら、我々はいずれ心を静めることができるかもしれません。恐れの感覚がリラクゼーションの感覚に変わるかもしれないのです。そうなると、そこには木々、川の流れや、岩や、美しい植物があることに気づき始めるのです。目の前の光景に創造の物語が呼び起こされるのです。

「地は草を芽生えさせ、それぞれの種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける木を芽生えさせた。神はこれを見て、良しとされた。」 (創世記1章12節)